パシリテーターBlog

生まれ育った高槻をもっと良くしたい!高槻市議会議員 市来ハヤトの議会報告ブログです。(きまぐれ更新)

「歴史教育のあり方について」政治家を志した原点について初めての一般質問で述べました。【高槻市議会】【一般質問】2019/07/11

大阪維新の会の市來隼です。

はじめての一般質問をさせていただきます。

はじめに、

なぜ私が政治家を志したのか」

その原点についてお話しさせていただきます。

 

 私は高槻市の公立学校で小、中、高と過ごしてきました。大阪府の条例ができましたので今現在はないと聞き及んでおりますが、当時、私が小中高と過ごしてきた中で、式典での国歌斉唱の際に起立しない先生は、必ずいらっしゃいました。それは私の学生生活では当たり前の光景でした。

 

 ある時起立をしなかった先生に聞きました。「先生はなぜ立たないのですか」と。その先生は「思想の自由だ」と答えました。当時はその姿勢に自分の信念を貫くカッコいい先生という印象を受けたことを今でも覚えています。

 

 大学生になり地方から出てきた仲間が出来ました。その仲間たちとたまたま私が高槻で受けてきた教育の話をする機会があり、その時になってはじめて自分が受けてきた教育が他の地域と異なることに気がつきました。式典などで国旗掲揚式がなかったこともその時はじめて知りました。

 

「自分が受けてきた教育はなんだったのか」

これが私が政治家を志すきっかけとなった最初の原点です。

 

 20歳ではじめて選挙に関わるようになり、大学卒業後からは、議員秘書として高槻のまちを歩いてきました。議員秘書として地域を歩く中で、地元の方から"かつて”高槻市の教育現場で行われてきた「高槻方式」のお話しを聞く機会があり、大きな衝撃を受けました。「高槻方式」については、みなさんご存知のタレントであり、高槻の学校で教育を受けてこられた「つるの剛士」さんも某インターネット番組で触れられ話題になりました。

 

 私も、小学生のころから平和学習を受けてきましたので、戦争=恐ろしいもの=絶対にやってはいけないもの、という認識は強く持っていましたが、戦争がなぜ起きるのかについて深く考えることはありませんでした。むしろ恐ろしいことから避けるために戦争については考えてはいけないことのようにさえ思っていました。

 

 私は、歴史のある出来事があったか、なかったとか、思想的に右か、左か、といったような議論を今ここでするつもりはありません。平和学習についても否定しませんし、むしろどんどんやるべきだと考えておりますが、問題なのはその教育のあり方です。

 歴史教育で大切なことは、公平、公正でなければならないということです。ある一方の側面のみを教えるのではなく、また、今の価値観だけで当時のことを考えるのではなく、歴史をさまざまな面から考えることは、子どもたちだけでなく大人の我々にとっても大切なことと確信しております。

 

 縷々お話しをいたしまして長くなってしまいましたが、以上のことを踏まえまずは1項目の質問をさせていただきます。

 一般質問の題目については大きく4項目のテーマにわかれておりますので、順にお伺いさせていただきます。

 


<質問>1問目:平和教育について

1項目は、平和教育について、2点、お伺いいたします。

まず、1点目です。

教育現場において、歴史教育は事実に基づき、公平、公正でなければならないと考えております。二度と悲惨な戦争を繰り返さないために、現在の小中学校では、どのような平和学習を行なっているか、お聞かせください。

 

次に、2点目です。

 小中学校の授業の中で、平和学習を行なっていくうえでどのような点に留意しながら指導を行なっているのか、お聞かせください。

 

<答弁>1問目:平和教育について

 1点目の小中学校における平和学習についてですが、各学校では、学習指導要領に基づき、児童生徒の発達段階に応じて、各教科、道徳科、特別活動、総合的な学習の時間など学校教育活動全体を通じて行なっております。

 その一例を挙げますと、6年生の社会科では、「平和を願う日本人として世界の国々の人々とともに生きていくことが大切であることを自覚できるようにする」と学習指導要領に示されており、政治の働きや日本国憲法の考え方、多文化理解などについての学習に取り組んでおります。このような学習を通じて、将来にわたり、児童が平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質の育成に努めているところです。

 

 2点目の平和学習を行なっていく上での留意点についてですが、平和学習で取り上げ

る社会的事象については、児童生徒の考えが深まるように様々な見解を提示するよ

う配慮しております。例えば、多様な見解が出されるような事柄や未確定な事柄を取り上げる場合は、児童生徒がその事柄を多面的・多角的に考えたり、事実を客観的に捉え、公正に判断したりしやすいように留意し、指導を行なっております。

 

 

<質問>2問目:平和教育について(タチソについて)

 高槻市で教育を受けた人であれば誰でも聞いたことがあるかと思います、高槻地下倉庫「タチソ」についてです。

 今現在も社会の授業で使用されている副読本でも「タチソ」についての紹介があるということで、中身については事前に拝見させていただきました。副読本による紹介内容については特段問題のない説明ではありましたが、私が問題があるのではないかと考えているのは、タチソ前に設置されている銘板に記された説明文についてです。そこに書かれている内容が果たして史実に基づいているのか甚だ疑問に感じる内容となっています。先の2点目の答弁にもありましたが、平和学習を行なっていく上での留意点について、平和学習で取り上げる社会的事象については、児童生徒の考えが深まるように様々な見解を提示するよう配慮しており、多様な見解が出されるような事柄や未確定な事柄を取り上げる場合は、その事柄を多面的・多角的に考えたり、事実を客観的に捉え、公正に判断したりしやすいように留意し、指導を行なっております、とありましたが、タチソの銘板に記載されている内容についてはかなり乖離があるように感じております。

 

そこで2点、お伺いいたします。

①  タチソの銘板はどのような経緯で設置されたのでしょうか。

②  銘板の文言はどのような経緯で決定されたのでしょうか。

それぞれお聞かせください。

 

<質問>3問目:平和教育について(タチソについて)

 平和教育に関わる2問目の質問にご答弁をいたします。タチソの銘板を設置した経緯については、大阪府の戦後50周年記念事業の「戦争の傷あと事業」において、平成7年度に大阪府が制作や工事の主体となり、設置をされたものです。

また、銘板の文言作成にあたっては、高槻市史による資料提供などを行っております。

 

<質問>3問目:平和教育について(タチソについて)の要望

 銘板の設置にあたっては、戦後50周年事業として大阪府高槻市の共同での事業ということですので、事前に大阪府の担当窓口でもヒヤリングを行いました。「設置については共同で行なったが文言の提供については高槻市の方からだと思われる」とのことでしたが、大阪府の方でも設置までの経緯や文言に関する資料などは現存していないということでした。

 また、高槻市側においても銘板に掲載する文言作成にあたっては高槻市史による資料提供をしたとのご答弁でしたが、銘板に記載されている内容については、だれがどの史実をもとにして作成したのか、設置に至る経緯や根拠が分かるような資料は現存していないという状況でした。

 戦後50周年事業が実施された当時は村山談話が発表された年でもありますので、当時の時代背景を考えれば設置の経緯はなんとなく推測することはできますが、タチソを歴史的事実として後世に伝えていくということでしたら、いろいろな見解があるのはわかるのですが、事実は事実として公正公平に伝えるという点が大切だと考えております。  

 大阪府のピースおおさかや天理市において歴史的な確証が乏しいと判断したものについては展示のあり方についての見直しが行われております。タチソの銘板については、設置から20年以上経過しておりますが、設置されているということはその内容については高槻市の公式な見解と思われる可能性もあります。今一度そのあり方については議論をしていただきたいと要望し、平和教育についての質問を終わります。

 

 

買って応援!

下記リンクから飛んで、Amazonにてお買い物をしてみてください。 発生した収入は、政治活動の充実のために使用させていただきます。